『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』の書評です。
社会人・ビジネスパーソンとしてのノートの取り方なんて誰も教わったことがないと思うけど、なぜ教わらないかというと、それは「正解がない」から。
学生時代なら、決まった問題に対して決まった答えを導き出す方法を覚えるためのノートの取り方を教わればいい、つまり「正解がある」からノートの取り方も教えられる。
だけと業種も違ければ、業界も違うため「正解がない」ビジネスにおいては、ノートの取り方なんて千差万別、十人十色。教えようにも、その人にとって最適なノートの取り方なんて誰も教えられるわけがない。
結局、本人が自分でもがき苦しみながら試行錯誤して自分で見出さなくてはいけないものなんだと思います。
とはいえ、能とか歌舞伎とかの伝統芸能や、柔道や剣道、まー茶道でもいいや、いわゆる「芸事」(げいごと)には「型」(カタ)、つまり「基本形」ってやつがあるわけです。
最大公約数的に誰でも覚えておいてもらいたい形。
本書は「ノートを極める道(みち)」、つまり「ノート道(どう)」の型を教えてくれる1冊です。
古典芸能の能や狂言に「守・破・離」という言葉があります。
「守」=まずは基本の型を守る
「破」=あえて型を破壊してみる
「離」=型から離れて自分流を見出す
という意味だそうです。
本書も、ノート道における「守」の部分を司っていると思います。
本書を読んで「へーこんな使い方があるんだ」とただ漫然と読むだけではなく、まずは本書に従って愚直に「守」を行ってみる(本書内で言う「A書評」ってやつですね)。
さらにそこからワンステップ上げて、あえて「破」に取り組んでみて、最後には自分なりの「離」の域まで到達してもらいたい。
・・・と著者は読者に訴えかけているのではないか?と本書を読んで私は感じました。
これって「愛」だよね、「愛」?
最後に、柔道の開祖、嘉納治五郎のお言葉。
「合理的なものを構築することで、誰でも簡単に学べ、次の世代の人にも教えることができること、これすなわち”道”である。」
本書も、ノートの取り方を合理的に構築し、誰でも簡単に学べ、次の世代の人にも教えることができるようなフォーマットを確立したという点では、まさに「ノート道」と呼ぶにふさわしい1冊であろう。